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2017/12/22

宇都宮ブリッツェンシクロクロスチーム 6年の歩み 【第5回】

2012年、宇都宮ブリッツェンにシクロクロス専任の選手が誕生した。

その選手の名前は、小坂光。

それから6年後、小坂は全日本選手権で優勝し、ナショナルチャンピオンジャージに袖を通す。そんな小坂とチームの歩みを、このタイミングで少しばかり振り返ってみたい。そうすることで、小坂とチームが目指す次の目標が、見つかる気がするからだ。





第5回:2016年 ー 変化の兆し ー

チームとしての形はなかったものの、2012年から始まった小坂と彼を支えるスタッフ陣の挑戦。しかし、4年連続でその挑戦は呆気なく跳ね除けられた。

こうなってくると、自分自身の中にもある種の迷いが生まれてくる。

“あの時、自分が働きながら日本一になると決めたならそれを達成しなきゃ、とか言わなければ、ヒカルはもっと早い段階で日本一になっていたのではないだろうか?自分のひと言が、彼の選手としてのキャリアを狂わせてしまったのではないだろうか?”

だが同時に、長年ロードレースとシクロクロスチームに帯同して取材を重ねる中で得たある種の皮膚感覚のようなものが、その迷いを否定してもいた。

“ヒカルはプロ向きのメンタリティではない。プロになっていたら、彼はもっと早く潰れていたかもしれない”

チームにも、微妙な停滞感が流れていた。

チーム内の人間が言うのも気が引けるが、この時点で既に、メカニック陣は国内屈指のサポート体制を築いていたと思う。そして、それに満足することなく海外トップ選手のメカニックの仕事ぶりや使っている道具を映像で確認するなど、さらにサポート体制を向上しようと研究を重ねていた。

それでもなかなか結果がついてこないことに、「フルタイムワーカーが国内トップレベルの争いを演じていることを、素直にカッコいいと思ってサポートするぐらいでいいんじゃないの」という、自虐的な目標の下方修正案も冗談で出るようになっていた。

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[野辺山Day-2での一コマ。メカニック陣のサポート体制は間違いなく国内屈指だ]
photo(C):Nobumichi.Komori/HATTRICK COMPANY

だが、周囲の環境は、そんな下方修正案を受け入れてくれないほどに盛り上がっていた。

この年の全日本選手権の開催地は、チームの地元である栃木県宇都宮市。宇都宮市制120周年を記念する一大イベントであることに加え、関東で初開催となる全日本選手権ということもあり、関係者や地元住民、ファン・サポーターから「地元開催の全日本選手権で日本一を!」という多大な期待が小坂にかけられることになった。

そんな中、オフシーズンの貴重なトレーニングも兼ねてロードレースシーズンに入った小坂だったが、彼もまた言いようのない不安と停滞感の中にいた。

ある日、小坂と自分は食事をする機会があった。場所は、2012年に互いに大きな決断をするに至ったあの店だった。

小坂は、その時抱えている不安を口にした。

「オフシーズンにロードを乗り込んでシクロクロスシーズンに入るという流れをこれまで数年続けてきて、結局、結果に結びついていない。それが一番良い方法だと思っていたけど、このままでやっていても何も変わらない気がする」

その時、既に結構アルコールを摂取していた自分は、実はこの時の会話をはっきりと覚えていない。ただ、何となくこんなことを言ったというのは微かに覚えている。

「オレはヒカルが“これで良い”と思ってやってるんだと思っていたから、何か言うつもりもなかったよ。でも、何かを変えなければ前に進まないとヒカル自身が思っているなら、それはまさに変え時なんじゃない?幸いにも、ヒカルが変えたいと思えば周りが協力してくれる体制はある訳だし。誰かに変えてもらうんじゃなくてヒカルが自ら動けば、状況は変わっていくと思うよ」

そんな話をしてから数カ月経ち、国内シーズンが始まる前に出場した中国でのUCIレース連戦に挑んだ小坂は、同じレースに出場していた前田公平と比較して全然走れていない自分自身に愕然とする。

何かを変えなければ、状況は決して好転しない。そう思った小坂は、ロードレースやMTBのトップ選手も師事するピークス・コーチング・グループ・ジャパンの中田尚志氏に、自身のコーチングを依頼する。

小坂の依頼を、中田氏は快諾。心強い味方が加わり、宇都宮ブリッツェンシクロクロスチームはシーズンを戦うことになった。

シーズンインした小坂は、茨城シクロクロス取手、シクロクロスミーティング富士山、東北シクロクロスさがえ、スターライトクロス幕張と勝利を重ねていく。関西シクロクロスマキノはミスで2位に終わったが、野辺山Day-1では自身初となる優勝を飾り、中田氏に師事したことで確実にフィジカルが強くなりつつあることを証明する走りを見せて、地元開催の全日本選手権に臨むことになった。

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[野辺山Day-1で初優勝を飾り、表彰台の真ん中に立った]
photo(C):Nobumichi.Komori/HATTRICK COMPANY

迎えた全日本選手権当日。小坂の表情が冴えない。

聞くと、昨夜はほとんど寝られなかったという。地元開催の全日本選手権、小坂にはその開催が決まった瞬間から大きなプレッシャーがのしかかっていた。

「期待してるよ!」「地元開催の全日本選手権で初優勝だね!」

そんな、周りの人がかけてくれる優しい言葉や期待の一つひとつが、小坂の平常心を奪っていたのだろう。

レースは、霜柱が溶けてスリッピーになったドッグラン奥のキャンバー区間の処理でできた差を最後まで埋めることができず、沢田時が初優勝。

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[沢田に追いつくことだけを考え、玉砕覚悟でペースを上げようとする小坂]
photo(C):Nobumichi.Komori/HATTRICK COMPANY

玉砕覚悟でタイム差を縮めるためにペースアップを図った小坂は文字通り玉砕し終盤に失速。またしても3位でレースを終えた。

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[地元開催の全日本選手権で初優勝というプレッシャーが小坂を苦しめた]
photo(C):Nobumichi.Komori/HATTRICK COMPANY

「全力を尽くしたので、後悔はない」

レース後にインタビューに応える小坂が口にした言葉。リップサービスも当然あったとは思うが、自分はその言葉を釈然としない気持ちで聞いていたことを思い出す。

中田氏に師事したことで、フィジカルは確実に向上している。しかし、このままでは、彼はきっと勝てない。

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[ゴール直後に悔しさを滲ませる小坂。その後の雰囲気に違和感を覚えたことを思い出す]
photo(C):Nobumichi.Komori/HATTRICK COMPANY

「プロ向きではないメンタリティ」

プロ選手ではないフルタイムワーカーの小坂が、プロと変わらぬメンタリティを持つにはどうすればいいのか。そんなことを、自分は考えていた。

 

<つづく>

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コメント

わくわくドキドキが止まりません!
大感動のゴールまで、早く続きが読みたいです❗️
あと1年ぶん、優勝までのラストスパート楽しみにお待ちしています❣️

投稿: あばぁば | 2017/12/23 09:56

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