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2017/12/20

宇都宮ブリッツェンシクロクロスチーム 6年の歩み 【第4回】

2012年、宇都宮ブリッツェンにシクロクロス専任の選手が誕生した。

その選手の名前は、小坂光。

それから6年後、小坂は全日本選手権で優勝し、ナショナルチャンピオンジャージに袖を通す。そんな小坂とチームの歩みを、このタイミングで少しばかり振り返ってみたい。そうすることで、小坂とチームが目指す次の目標が、見つかる気がするからだ。




第4回:2015年 ー 詰めの甘い男たち ー

負けるべくして負けた2014年の全日本選手権から数日経ち、小坂のもとに更なる悲報が届く。2015年のシクロクロス世界選手権に出場する日本代表落選の報せだった。

それまでの成績を考えれば当然の結果と言えるかもしれないが、国内レースをメインに活動する小坂にとっては世界トップレベル自身の力を試すチャンスを失うことを意味する。

そんな悲報にめげることなくシーズンを戦い続ける小坂は、年が明けた2015年1月11日、関西シクロクロス希望ヶ丘に出場する。

実はこの日は、長らく小坂をサポートしてきた廣瀬メカが自身のショップをオープンさせる記念すべき日。小坂も、夢を実現するためにこの日は不在となった廣瀬メカに、勝利という最高のプレゼントをするため必勝を期してレースに臨んだ。

レースは中盤にU23チャンピオンの横山に先行される展開となるが、小坂は最終周回で横山をキャッチ。そのままゴールスプリントとなり、先行した小坂は勝利を確信して廣瀬メカに捧げるガッツポーズを決めようとした。

しかしゴール直前、諦めずにもがき続けた横山に差し切られ、まさかの2位。小坂の詰めの甘さがそのまま結果に反映するレースとなった。この詰めの甘さは、来たる2015-2016シーズンでも露見してしまうことになるとは、この時はまだ誰も気付いていなかった。

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[ゴール直前で差され2位。詰めの甘さが響いた結果だった]
photo(C):Nobumichi.Komori/HATTRICK COMPANY

4月になり、仕事の面で小坂に変化が訪れる。それまで所属していた部署から異動となったのだ。

比較的残業が少ない部署に異動となったことで仕事後のトレーニング時間を昨年以上に取れるようになった小坂は、少しずつ復調。那須ブラーゼンに所属して出場していたロードレースのJプロツアーでもシーズン序盤は苦しむレースが多かったが、10月3日のいわきクリテリウムでは8位とトップ10に入るリザルトを残すなど後半戦に入ると本来の走りを取り戻す中でシクロクロスシーズンへと入ることになった。

シクロクロスシーズンに入った小坂は、昨年の不甲斐なさを払拭するかのような走りで勝利を重ねていく。

この年からシリーズ戦となった宇都宮シクロクロスシリーズのエキシビジョン、第1戦で勝利。さらに本格的にスタートしたジャパンシクロクロス(JCX)シリーズでも茨城シクロクロス取手、関西シクロクロスビワコマイアミラウンド、東北シクロクロス猪苗代など出場レースすべてで勝利を収め、無傷の6連勝。小坂自身、そしてスタッフ陣も確かな手応えを得て全日本選手権前のUCIレース連戦を迎えることになった。

UCIレース連戦の初戦、関西シクロクロスマキノラウンドでは2位となり連勝はストップしたものの、終盤までベルギーの大ベテラン選手ベン・ベルデンとマッチレースを展開。さらなる手応えを感じ、野辺山2連戦へと臨んだ。

しかし、小坂は野辺山Day-1の終盤で失速。このレースが国内初戦となった竹之内悠(ベランクラシック・エコイ)に引き離されるばかりか、MTB全日本チャンピオンでプレオリンピックのクロスカントリーで11に入る活躍を見せた山本幸平(トレック)にも先行されて4位でフィニッシュという結果になった。

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[序盤は好走を見せたものの、終盤に失速。竹之内の勝負強さが際立った]
photo(C):Nobumichi.Komori/HATTRICK COMPANY

その晩、廣瀬メカと自分は宿泊先近くのラーメン屋にいた。その前に夕飯は食べていたので、決してお腹が空いていたという訳ではなかったが、怪我をしながらもきっちり勝利を収める竹之内の姿が焼き付いていて、どうしても真っ直ぐ宿に帰る気にならなかったのだ。

ラーメン屋でお互いが心の内に抱えていたことをぶつけ合ってみると、ほぼほぼ同じことを考えていた。

「勝負強さという点で、竹之内と小坂の間にはまだ大きな開きがある。このままでは、全日本選手権も厳しい結果になってしまうかもしれない」。そんな危機感をお互いが抱えていた。

それでも、短期間でフィジカルが劇的に進化することはあり得ないから、せめてモチベーションだけは高く維持できるよう、こちらから発破をかけていきましょう。そんなことを話し合ったのだが、自分たちのこの前のめり感も自滅の始まりだったのだと、今となっては分かる。

竹之内が大事をとって欠場を選んだ野辺山Day-2。小坂は前日の走りからきっちり持ち直して海外招待選手のザック・マクドナルドに次ぐ2位でフィニッシュ。野辺山で初めて表彰台に上がったことで勢いを得て、翌週の全日本選手権に挑むことになった。

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[強さというよりは脆さ。そんな印象を抱かせる小坂の姿だった]
photo(C):Nobumichi.Komori/HATTRICK COMPANY

迎えた全日本選手権。

展開次第では小坂が竹之内を上回ることもある。そんな風に考えていたスタッフ陣は、朝からモチベーションだけは最高潮でいようとピリピリとした雰囲気を放っていたと思う。それはレース後、取材に訪れていたNHK宇都宮支局のレポーターが「怖くて話しかけられなかった」と言うぐらいだった。

レースはスタートから、小坂が飛び出して先頭を独走する展開が続く。しかし、中盤を過ぎると後方から竹之内と山本がじわじわ迫り、6周回目に先頭は3名のパックとなる。

3名のパックとなった後も小坂は冷静さを保ってレースを進めていたが、7周回目の泥区間から舗装路区間に出る場所で前輪を滑らせ、まさかの転倒。そのショックで前輪がズレてブレーキと干渉する状態となってしまい、竹之内と山本に引き離されてしまう。

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[危険と思われた箇所で転倒し遅れをとった小坂がバイク交換のためにピットを目指す]
photo(C):Nobumichi.Komori/HATTRICK COMPANY

バイクを交換した小坂は懸命に追走を試みるが、転倒からバイク交換までに失ったタイム差を取り戻すことはできず、またも3位でレースを終えることとなった。

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[大一番で詰めの甘さを見せてしまった小坂]
photo(C):Nobumichi.Komori/HATTRICK COMPANY

レース後、廣瀬メカは小坂の父・正則氏から「ヒカルが転んだ場所は、レースが進むに連れて泥が舗装路に乗っていっていて、危ないな、注意してクリアしないとなと思っていた場所だったんだ」という話を聞いたという。

レース終盤の極限状態の中、コースを冷静に判断し、落ち着いてレースを進められなかった小坂。この年の最初に露見していた詰めの甘さが、まさに大一番で出てしまった結果だった。

そして、それはスタッフ陣も同様。前のめりになり過ぎ、間違いなく冷静さを欠いていた。

選手、スタッフともに、勝利を手にするにはまだまだ未熟だったと言うしかない敗戦となった。



<つづく>

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