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2017/12/19

宇都宮ブリッツェンシクロクロスチーム 6年の歩み 【第3回】

2012年、宇都宮ブリッツェンにシクロクロス専任の選手が誕生した。

その選手の名前は、小坂光。

それから6年後、小坂は全日本選手権で優勝し、ナショナルチャンピオンジャージに袖を通す。そんな小坂とチームの歩みを、このタイミングで少しばかり振り返ってみたい。そうすることで、小坂とチームが目指す次の目標が、見つかる気がするからだ。





第3回:2014年 ー 停滞 ー

たったひとつのパンクで勝負の舞台から引きずり降ろされた2013年の全日本選手権の雪辱を晴らすことが目標となった2014年。

しかし、振り返ってみると、この2014年が宇都宮ブリッツェンシクロクロスチームのどん底の時期だったと感じる。

そのひとつの要因が、小坂自身のコンディションとパフォーマンスだ。

社会人生活4年目となった小坂は、任される仕事の重要度も増し、それに伴って業務量も確実に増加。定時に帰れることも日増しに少なくなり、満足に練習時間を取れない日が多くなっていった。

もうひとつの要因は、シクロクロスチーム自体の立ち位置。

この要因は未だに解消できているとは言い難いが、シクロクロスチームとして独自のスポンサー獲得などができておらず、活動に要する費用面は、ロードレースチームや運営会社が別事業で稼いだ売上が充てられているというのが現実だった。

また、ロードレースチームの監督・メカニック各1名ずつというスタッフ体制に対して、シクロクロスチームは監督はいないもののメカニックを3名必要とするレースもあり、そういったサポート体制が疑問視されることもあった。

「はっきり言って、赤字事業だよね」

小坂自身はもちろんのこと、自分も何度となくこんな言葉を聞く状況が続いていた。

そんな小坂とチームの状況を尻目に、チームの地元である宇都宮市ではシクロクロスに対する土壌を醸成しようと、新たな試みが始まろうとしていた。

それが、「ジャパンカップシクロクロス」だ。

宇都宮市の中心市街地、宇都宮市役所の東隣にある宇都宮城址公園を舞台に開催されたこのレースは、土曜日のエキシビジョンレース、日曜日の本戦ともに大盛況。初めてシクロクロスを観戦するという観客も多く、シクロクロスの面白さ、競技としての魅力を伝えるには十分だった。

そんな地元の盛り上がりを受けて勢いに乗りたい小坂とシクロクロスチームは、いよいよ本格シーズンインを果たす。

全日本チャンピオンを争うライバル選手が揃わない各地域のシリーズ戦で小坂は着実に勝利を重ねていきたいところだったが、そのパフォーマンスはお世辞にも絶好調と言えるものではなく、それまでのピーク時にはまったく及ばない走りと言わざるを得ないもの。

東北シクロクロス猪苗代では、MTBで数々の実績を残し、そのキャリアの最後にシクロクロスに本格参戦していた山本和弘(弱虫ペダルシクロクロスチーム)の後塵を拝してもいた。

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[関西シクロクロスマキノラウンドでは山本に競り勝ち2位に入る]
photo(C):Nobumichi.Komori/HATTRICK COMPANY

全日本選手権前の重要レースと言えるUCIレース連戦の初戦、関西シクロクロスマキノラウンドではその山本に競り勝ち、海外招待選手のイタリアU23チャンピオン、ジョエーレ・ベルトリーニに次ぐ2位でフィニッシュしたものの、続く野辺山2連戦では初日が5位、2日目が6位。

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[野辺山Day-1 メカトラブルでバイクを担いでピットに向かう小坂]
photo(C):Nobumichi.Komori/HATTRICK COMPANY

同い年のライバル竹之内悠(ヴェランクラシック・ドルチーニ)、そして山本にフィジカル、コンディションともに劣っていることを露呈する結果となってしまった。

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[CXチームスタート前の儀式も、この頃から定番化していった]
photo(C):Nobumichi.Komori/HATTRICK COMPANY

そんな中で迎えることとなった全日本選手権。

小坂はスタート直後にいきなり、チェーン落ちのトラブルに見舞われて10番手前後に順位を下げてしまう。何とか持ち直して追走に入ったものの、今度は会場となったスポーツランドSUGOモトクロスコースのまとわりつくような粘土質の土がタイヤにまとわり付いてタイヤが回らない状態に何度も見舞われることになった。

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[タイヤを交換したバイクで猛追を見せた小坂だったが3位に終わった]
photo(C):Nobumichi.Komori/HATTRICK COMPANY

タイヤが回らなくなってしまったバイクを担いでピットに戻った小坂は、異なるタイヤを付けたバイクに交換して再びコースイン。その後は猛烈な追い上げを見せて3位にまでポジションを上げてフィニッシュしたが、4連覇を達成した竹之内は小坂の2分3秒先に歓喜の瞬間を迎えていた。

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[レース後、頭を抱えて悔しさを露わにする小坂。なかなか埋まらない竹之内との差に全員が頭を悩ませる]
photo(C):Nobumichi.Komori/HATTRICK COMPANY

このレースで突きつけられたのは、優勝した竹之内との経験の差。そして、リスクマネージメントの差だった。当時を振り返って、その経験の差を廣瀬メカが指摘する。

「あの日はコースコンディションを考えてヒカルはマッドタイヤを選択していたし、他の選手もほとんどがそうだった。でも、竹之内だけはマッドよりもパターンの細かいタイヤを選択していた。経験からまとわり付く粘土質の土ということを見抜いて、必要以上に土が付かないタイヤを選択していたんだと思う」

リスクマネージメントという点に関しては、自分がレース中に目の当たりにした光景が忘れられない。

竹之内は、ハンドル操作が重要ではない区間で走りながら前輪に手を当て、タイヤに付いていた土を自ら落とすテクニックを披露して見せたのだ。極限の緊張感の中で争われる全日本選手権という舞台でも落ち着いて、冷静にリスクヘッジする竹之内の姿に、小坂との決定的な差を見た瞬間だった。

「あの頃は、ヒカルの感覚が絶対で、バイクセッティングやタイヤ選択の全てがヒカルの指示で決まっていた。もちろん、選手の感覚が一番大切だけど、違う目線でアドバイスをできるだけの経験がメカニック陣になかった。負けるべくして負けたレースだったんだと思う」

廣瀬メカが語ったこの言葉が全て。

満足にトレーニングを重ねることさえできていなかった小坂。そして、選手に対して違った目線から明確なアドバイスをできなかったチームの未熟さ。どうすれば全日本チャンピオンの竹之内に近付き、追い抜くことができるのか。

チームの全員がそのことを自問自答するまま、悪戯に時間だけが過ぎていった。




<つづく>

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