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2017/12/23

宇都宮ブリッツェンシクロクロスチーム 6年の歩み 【第6回】

2012年、宇都宮ブリッツェンにシクロクロス専任の選手が誕生した。

その選手の名前は、小坂光。

それから6年後、小坂は全日本選手権で優勝し、ナショナルチャンピオンジャージに袖を通す。そんな小坂とチームの歩みを、このタイミングで少しばかり振り返ってみたい。そうすることで、小坂とチームが目指す次の目標が、見つかる気がするからだ。





第6回:2017年 ー 歓喜 ー

地元、宇都宮市での全日本選手権を終えた後から、自分はずっと考えていた。

小坂が全日本選手権で勝てないのは、フィジカルが足りていないからではない。むしろ問題なのは、そのメンタル。直近の全日本選手権で改めてそう感じるようになっていた。

振り返ってみると、分からないでもない。

小坂はシクロクロスという競技を始めた高校生の時から、偉大なる父・正則氏がその道筋を作ってくれていた。

大学生になり宇都宮ブリッツェンに加入した小坂は、創設したばかりで足りないものだらけのチームだったとはいえ、いきなりプロ選手と同じサポートを受けることができた。

宇都宮ブリッツェンシクロクロスチームができる時も当時の監督である栗村修氏と運営会社、チームができた後は池本メカや廣瀬メカといった大人たちが、率先して小坂のために道筋を作ってきてくれた。

このように大人が率先して小坂のために動いてくれるのは、小坂自身にそうさせるだけの才能と魅力があるからだし、それを否定することはできない。

だが同時に、小坂の中に、自分が何かしなくても周りの大人たちがさまざまなことをお膳立てしてくれるという気持ちが少なからずあったことも、否定できないのではないかと思うのだ。

言ってしまえば、多くのプロ選手が常に頭や心の片隅に抱える“来年には、今と同じ環境で走れないかもしれない”、“選手でなくなったら、生活に困っているかもしれない”という切羽詰まった危機感が、小坂にとってはほぼないに等しい状況なのではないか。そういう意味で、小坂はまだまだ「子供」なのではないか。

自分はそう考えるようになっていた。

そんなことを自分が考えていることなど知る由もなく、小坂はこの年、さらに大きな決断をする。

シクロクロスの強化策として長年続けていたロードレースではなく、前年に池本メカのサポートを受けて2戦出場し、シクロクロスの強化に繋がると手応えを得たMTBにフル参戦することを希望したのだ。

そして、小坂は宇都宮ブリッツェンとしてMTBを走ることを希望したが、さまざまな理由が重なり、この希望をふたつ返事で運営会社が受け入れることはできなかった。

しかし、運営会社はチームのスポンサーでバイクサプライヤーであるミヤタサイクルと協議を重ね、小坂がミヤタメリダバイキングチームでMTBを走れるように道筋を作ることはしてくれた。ただ、運営会社ができるのはそこまで。MTBの活動は、すべてミヤタメリダバイキングチームの意向に沿うことが求められた。

この話を自分自身の2017年の契約の際に柿沼社長から聞き、自分は、これはいい機会なのではないかと思った。

というのも、これまでの周りが先回りしてくれる環境、言い換えれば周りから求められる小坂ではなく、周りが求めたのではなく小坂自身が望み、求めた環境に身を置いて活動することで、違った世界が見えてくるのではないかと思ったからだ。

そう思った自分は、小坂がMTBシーズンを戦っている間は偶然あった時は言葉を交わしこそすれ、自分から積極的に小坂と連絡を取ったり食事に行ったりすることを控えることにしていた。

この間、自分の小坂に関しての情報源は、小坂が宇都宮ブリッツェンに加入した時からずっと身体のケアをしている、きぶな接骨院の髙橋英明先生。

「以前に比べると最近は定期的に、しっかりと身体のケアに来ていますよ」

「筋肉のつき方が変わってきていますよ」

長年、小坂の身体のケアをしてきた髙橋先生から小坂の変化を聞くたび、周りから求められるのではなく、自らが求めた環境に身を置いたことでがいい方向に向かっているのではないかと感じることができた。

期待を膨らませつつシクロクロスシーズンが幕を開けた。

10月8日。JCXシリーズの初戦となる茨城シクロクロス取手ラウンドの会場でジャージ姿になった小坂の姿を久しぶりに見て、上半身がひと回り大きくなっていることに気付き、驚かされた。MTBのレースを戦ってきたこと、中田コーチとのトレーニングの成果がしっかりと肉体に現れていると実感した。

だが、それ以上に驚かされたのが、そのレース運びだった。

これまでであれば自分の理想とするレース展開に持ち込もうと焦ったり、それによってミスをしたりということが多かったが、この日のレースはパックで走るライバルの前田公平の敢えて先行させて様子をうかがい、戦況や相手のウィークポイントを冷静に判断して一気に勝負を仕掛ける「大人」のレース運びで、変わった姿を見せてくれたのだ。

もちろん、1レースだけでは、小坂が変わったと自分は信じ切ることはできなかった。

だが、その後の東北シクロクロスさがえラウンド、スターライトクロス幕張、関西シクロクロスマキノラウンドでも、自分が小坂の走りに抱く印象が変わることはなかった。

そして、その印象が確信へと変わったのが、野辺山Day-1だった。

リザルトは5位と、特筆すべき結果ではない。しかし、その走りは心・技・体ががっちりと噛み合った、自分が6年間取材をしてきた中でも、自信を持って「ベスト」と言える走りだった。

“今日の走りができれば、間違いなく全日本選手権でも勝てる”。自分はそう思えるようになっていた。

メカニック陣の完璧な仕事も、さらに磨きがかかっていた。関西シクロクロスマキノラウンドの時は、あまりバイク交換の必要を感じていなかった小坂に対して、田村メカが「何かあってからじゃ遅いんだから、必要ないと思っても定期的にバイク交換をしてください」とひと言。

どのレースでも、試走の時に小坂が走って得た感覚に対して、メカニックとしての視点からタイヤ選択の進言するメカニック陣。小坂の感覚が絶対だった過去のチームとは違う、選手とスタッフががっちり噛み合った最高のチーム。見ていて素直にそう感じる頼もしい姿があった。

迎えた、全日本選手権。

自分はウォーミングアップをする小坂を見ながら、昨年のプレッシャーで押しつぶされていた小坂でないことを確認した。

“きっと、大丈夫だ”

そう思った自分はスタートに向けて準備を終え、召集場所に向かおうとする小坂に、変に気負わせないように、でも自信をもってもらえるように、ひと言だけ声をかけた。

「間違いなく、お前が一番強い」

レースは一進一退の展開だった。正直、誰が勝ってもおかしくない内容だったと思う。

でも、これまで共に戦ったどの全日本選手権よりも、スタッフ陣は安心して小坂のことを見ていられた。

小坂が独走で残り1周に入って最後のピットを過ぎた後、これまでであれば1人がフィニッシュ後の小坂のケアを担当し、残りは撤収作業を開始するメカニック陣も、初めて全員がフィニッシュ地点に集結した。

フィニッシュへと続くホームストレートに小坂が姿を現わす。表彰式が終わるまで泣くまいと心に誓っていたのに、自分はすでに涙を流しながらシャッターを切っていた。

小坂が、いつもとは違って少し不恰好なガッツポーズでフィニッシュする。

すべてを出し切ってフィニッシュした小坂に駆け寄る大喜びのメカニック陣、号泣しながらその光景を撮影する自分。

お世辞にもカッコいい姿ではなかったと思うけれど、それでいいじゃないか。

5年苦渋を味わったフィニッシュが、6年目にして初めて歓喜を味わうフィニッシュになった瞬間だったんだから。

 

<おわり>

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コメント

ありがとうございました😂

投稿: あばぁば | 2017/12/24 07:41

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