2017/05/19

不死鳥は再び羽ばたく

大空に解き放たれた不死鳥のように集団の呪縛から飛び出し、独走でフィニッシュラインを駆け抜ける。

彼の前も後ろも、邪魔する者は誰もいない。

そんな一瞬を、何度となくファインダー越しに見てきた。

彼と一緒に、僕自身も解き放たれる瞬間。
僕が一番好きな瞬間と言ってもいいかもしれない。

だから、いつまでも待っている。
不死鳥としか、この一瞬は味わえないものだから。

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[2012年 栂池高原ヒルクライム ©Nobumichi.Komori/HATTRICK COMPANY]
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[2014年 富士山ヒルクライム ©Nobumichi.Komori/HATTRICK COMPANY]
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[2014年 ツール・ド・おきなわ ©Nobumichi.Komori/HATTRICK COMPANY]
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[2016年 みやだ高原ヒルクライム ©Nobumichi.Komori/HATTRICK COMPANY]
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[2016年 ツール・ド・北海道第2ステージ ©Nobumichi.Komori/HATTRICK COMPANY]
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[2016年 おおいたロードレース ©Nobumichi.Komori/HATTRICK COMPANY]
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[2016年 ツール・ド・おきなわ ©Nobumichi Komori/HATTRICK COMPANY]

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2017/04/26

完全復活の途中で

「最後まで走り切るのは難しいと思ったので、行けるところまで積極的に行って、少しでも皆んなの役に立ちたかったんです」

JPT第4戦「JBCF東日本ロードクラシックDay-2」の途中でレースを降りた飯野智行は、原因不明の頭痛に顔をしかめながら言った。

前日のJPT第3戦のレース中盤、突然、飯野を襲った頭痛。もがけばもがく程強くなっていくその痛みを堪えながら、飯野は何とかレースをフィニッシュした。
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そして迎えた、翌日のJPT第4戦。
幾分、痛みは治まったものの、飯野の中で「完走」は現実的なものではなかった。

スタート前から数的不利を抱えるチーム。その少ない頭数の一人である自分が、満足に仕事を果たせない状況。

「行けるところまで行く」
飯野がたどり着いた結論は、チームメートの脚を少しでも残せるように序盤の動きを一手に引き受けることだった。
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今年に入ってから、飯野は2回の落車を経験している。

1度目はチームトレーニング中に飛び出してきた巨大イノシシと衝突して。
2度目はツール・ド・とちぎ第3ステージ終盤での落車だ。



2013年のJPT白浜クリテリウムでバイクが吹き飛ぶほどの激しい落車に遭いながら、レースに復帰して最後まで走りきった過去を持つ飯野は、選手の中でも骨太で丈夫な身体を持った選手という印象を受ける。



しかし、そんな丈夫な飯野でも短期間で2度の落車に遭った「勤続疲労」は間違いなくある。ひょっとすると、突然の頭痛は何かのシグナルなのかもしれない。

幸いなことに、レースはしばらくの間ない。
その間にしっかりと痛みの原因を探り、改善できる部分は改善すること。

かつて「サプライズ」と言われた走りを取り戻しつつある中、完全復活への歩みを緩めてはいけない。

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2017/04/12

名将への階段

のっけから偉そうな物言いをさせてもらえば、このタイミングでこの人が監督で良かったと思う。

宇都宮ブリッツェンを正常進化させ、日本国内はもとよりアジアでも戦えるチームへと導いたのは、熱烈なファン・サポーターとスポンサーの支え、運営会社スタッフの頑張りはもちろんのことだが、清水裕輔の監督就任も非常に大きな要因だと感じている。



まだまだ苦しい台所事情が続いていたチーム創設期から2013年まで、監督を務めていた栗村修氏の功績は今でも多くの人の記憶に残っているところだ。

しかし、業界全体を見ると、知名度も抜群の栗村氏は一チームの監督にしておくのは勿体ない存在。もっと業界全体をレベルアップさせる立場に行く必要があったのは、現在の栗村氏の活躍ぶりを見れば嫌というほど分かるだろう。



2013年秋、栗村氏が監督を退くことを聞いた時、次の監督が誰になるのか非常に不安を覚えていたことを思い出す。

宇都宮ブリッツェンはそれまでの国内ロードレース界で考えるとかなり特殊な存在のチーム。「地域密着型」というフィロソフィを理解し、咀嚼できない人が監督になれば、チームが方向性を見失うことは容易に想像がついた。



しかし、その不安は杞憂に終わった。

清水裕輔はすぐに「地域密着型」という絶対にブレてはいけないフィロソフィを自分の物にし、自身がこれまで積み上げてきた選手、チームスタッフとしての経験や知識と絶妙なバランスで融合させ始めた。

その結果が、就任3年目となった昨季の躍進につながったのだと感じている。



そして、就任4年目の今季、清水裕輔監督体制は第2フェーズに入った。

今季は経験豊富なベテラン勢と将来有望な若手選手にきっぱりと分かれたメンバー構成だ。選手個人個人の能力に疑いの余地はないが、一歩間違えれば世代間の断絶を生むリスキーな布陣と見ることもできる。

そんな選手たち一人ひとりを見極め、チームをもうワンランク進化させるためにどんなアプローチをしていくのか?

「地域密着型」チームのフィロソフィを理解し、業界にも精通した知将・清水裕輔が名将への階段を上っていくのが楽しみで仕方がない。

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2017/04/05

足がかり

「最後スプリントできなかったのは悔しいですけど、UCIレースである程度の結果を残せて自信につながりました」

初開催となったツール・ド・とちぎで個人総合6位、そして新人賞ジャージを獲得した岡篤志は、レース後に悔しさと安堵が入り混じった表情を見せた。


2年前、若手日本人選手の中で「世界」に最も近い場所に居る一人だった。

しかし、「世界」へと続く道は非常に険しく、岡は失意の帰国。競技を辞めようかと考えることもあった。

それでも、岡は周囲の厚いサポートもあり復帰。昨年はJエリートツアーで無類の強さを見せて今年から宇都宮ブリッツェンに加入した。




「リスタート」
岡にとって今季は、そんな一年。

その序盤でのレースで結果を残したことで足がかりは得た。
少しの間止まっていた岡の「世界」への挑戦は、再び動き出した。

そんな岡のすぐ近くには、自身の現在地を知る格好のライバルが2人いる。
現在、U23ナショナルチームで欧州遠征中の雨澤と小野寺だ。

実は、ツール・ド・とちぎの期間中、新人賞ジャージをキープした岡が「これでまた、強化指定選手になれますかね」とポツリと漏らしたことがあった。

目に見える結果を手にした自分も、雨澤や小野寺と同じラインに再び…。そんな想いが見え隠れする瞬間だった。



だが、焦りは禁物。

まずは、Jプロツアー開幕2連戦で獲得したピュアホワイトジャージをしっかりキープし続け、勝負に絡む走りを続けること。

結果を出し続ければ、そう遠くないうちに吉報はむこうからやってくるはずだ。


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photo(C):Nobumichi.Komori/HATTRICK COMPANY

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2017/03/31

ツール・ド・とちぎ 第1ステージ

初開催となるツール・ド・とちぎが開幕。
今日は第1ステージでした。

チームはプラン通りに逃げに乗った鈴木譲選手と岡選手が逃げ切り。最後はTeam UKYOのグアルディオラ選手に先行を許してしまう結果となりましたが、岡選手がステージ2位となり、ボーナスタイムを加味した個人総合時間でも6秒遅れの2位となりました。

この2位というポジション、悪くないと感じています。

リーダーチームはどうしてもレースをコントロールする使命がありますので、どうしてもに仕事が増えます。

仕事が増えるということは、それだけアシスト陣の脚も削られるということでもあります。

重要なのは、最終日に個人総合時間で首位に立っていることなので、余計な仕事がなくプレッシャーも少ない今の立ち位置は非常に良いと感じるのです。

明日以降、宇都宮ブリッツェンがどんなプランで戦うのか?今は当然言えませんが(笑)、明日以降のレースレポートやこのブログで紐解いていきたいと思っています。



話は変わって。

今日の第1ステージ、レース距離も短く下り基調ということもあって、撮影で先回りをしたい我々メディア陣にとっても非常にタフな戦いとなりました。

自分は何とか予定通りのスポットで撮影することができましたが、それも地元という地の利があってこそ。他県から来られたメディアの皆さんは相当苦労していたようです。

明日も、プラン通りに撮影できるように頑張ります。

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2017/03/30

ツール・ド・とちぎ 前日

明日からUCI-2.2のステージレース「ツール・ド・とちぎ」が開幕。

本日は移動日でした。

とは言っても、同じ栃木県内。

昼過ぎに宇都宮を出発して、あっという間に日光入り。
今回は大会オフィシャルフォトグラファーも兼務するので、共にオフィシャル業務を行うフォトグラファーさんたちと打ち合わせなど、何かとバタバタして今に至っています。

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本日はスタッフ4人部屋。清水監督が明日の第1ステージに向けて細かな作業中です。

初開催、しかも距離がそれほど長くないレースなので先回りして撮影して回れるか不安はありますが、頑張って取材します。

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2017/03/22

エーススプリンターの矜持

クールダウンを終え、着替えた後も小野寺玲がサングラスを外すことはなかった。

きっと、サングラスを外してしまえば、胸の内に留めておこうとしていた悔しさが、堰を切ったように溢れ出してしまうことが本人にも分かっていたのだろう。



「必要以上に緊張もしていませんでしたし、自信もありました。それだけに、この結果には全然満足できません」

悔しさを噛み殺すように、努めて冷静に小野寺は語った。



そんな小野寺に、増田が言う。

「レース中は先輩・後輩とか関係ないから、もっとこうして欲しいとかこう動いてくれとか言ってくれ」



大久保陣が移籍した今季、エーススプリンターとして覚醒が期待される小野寺。

地元開幕戦での勝利は、その期待に応える絶好の舞台になるはずだった。

そのための脚も自信も、アジア選手権U23個人タイムトライアルでの金メダル獲得で得ていた。


小野寺に足りなかったもの。

それは、年上の選手でも必要とあれば非情に使い捨てる「覚悟」。

同時にそれは、アシストの献身には勝利でしか応えることができない、エーススプリンターの「責任」でもある。




小野寺はレース後、チームを離れてナショナルチームでの活動のためにヨーロッパへ渡った。

ロードレースの本場で、小野寺がエーススプリンターとしての「覚悟」と「責任」を持つきっかけを掴んで帰ってきてくれることを期待したい。

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2017/03/06

アベタカ、元気でした

現在、鈴木譲・飯野・馬渡・岡の4選手が沖縄、アジア選手権帰りの増田・雨澤・小野寺の3選手が宇都宮でと、二手に分かれての調整が続いているチーム。

開幕に向けてそれぞれの選手が、ぞれぞれの場所でトレーニングを重ねています。

で、そうなると、ここのところ消息不明気味のアノ選手、アベタカの動向が気になるところ(笑)

そんなアベタカが、シクロクロスシーズン終わりの小坂選手とロング練に行くという話を聞きつけたので、無謀にも練習について行ってみました。

まぁ、結果から言うと、アベタカ元気でした。

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まだ少し落車で負った指の怪我が気になるらしく、休憩で立ち寄ったコンビニでバンドエイドを購入。

で、指をバンドエイドで固定したのはいいのですが、ここで小坂選手から冷静なひと言が。

「アベタカさん、それじゃ手袋できなくないっすか?」

うん、やっぱりアベタカはいつものアベタカで、元気でした(笑)

と、自分はここまでの1時間30分ほどでヘロヘロだったのと、この後いろは坂を上ると無慈悲なことを言うので離脱。

“選手のトレーニングの邪魔になっては元も子もないし”という、それらしい言い訳を用意してお別れしました(ので、アベタカのブログ の写真がセルフィー)。

2人とお別れした自分はその後、ツール・ド・とちぎ第1ステージのコースに設定されている日光〜土沢〜例幣使街道を通って帰宅することに。

“例幣使街道のこの辺で撮影したらいい画が撮れそうだな。次の撮影ポイントに間に合うかな?”などいろいろ考えながら帰宅しました。

で、帰ってみると、「とちぎ県民だより」に自分が昨年のツール・ド・北海道で撮影した写真を使っていただいているのを発見!

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ツール・ド・とちぎでもいい写真を撮れるように頑張ろうと、あらためて思った次第です。

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2017/03/03

ツール・ド・とちぎ あしかが一万人プロジェクトPR動画

3月31日(金)から始まる「ツール・ド・とちぎ」。
出場チームも発表され、少しずつ盛り上がりを見せ始めていますね。

自分が構成・シナリオで関わらせていただいたPR動画も公開されました。

あしかが一万人プロジェクトPR動画 ショートver

あしかが一万人プロジェクトPR動画 ロングver

第1ステージのフィニッシュ地点となる足利市の若手職員たちが結成した、「ツール・ド・とちぎ 勝手に盛り上げ隊」の皆さんからオファーをいただき、2本の動画の構成とシナリオを書かせてもらいました。

ご覧になっていただければお分かりいただけますが、今回の動画は増田選手に撮影協力いただきました。
撮影当日は増田選手の演技力もあり、かなりスムーズに進行。

ぜひ動画をチェックしていただければ幸いです。

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2017/03/01

ほろ苦いデビュー戦

「レース前半は思った通りに脚が動かなくて、全然ダメでした…」

そんなレース序盤に無理な動きをしてしまったことが響いて集団から遅れ、プロ選手としての初戦を18位で終えた馬渡伸弥選手。


この結果は、ある意味で仕方がないことと言える。

現在大学4年生の馬渡選手は、新チーム合流からさほど経っていない1月末に一度大学のある鹿屋に戻り、卒論の発表や提出のために時間を費やしており、正式に宇都宮に引っ越して来たのが2月中旬。

順調にチームキャンプを消化してきた他の選手と、一時期チームを離れて学業にウェイトを置いていた馬渡選手との間にコンディションの差があるのは、当然と言えば当然のことだった。


しかし、そんな状況の中、レース後半に刻んだラップタイムは先頭を走る鈴木譲選手や岡選手と比べても遜色のないものだった。

本人もそれは感じていて「レース後半になって脚が動くようになってからは、それなりに走れていたと思います」とレース後に語っていた。


少しばかりほろ苦いデビュー戦となってしまった感はあるが、馬渡選手がチームプレゼンテーションで披露した書き初めは「プロ意識」。

その決意通り、現在行われている沖縄キャンプでしっかり身体を追い込み、コンディションを一つ、二つ上げて宇都宮に帰ってきてくれるはずだ。

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photo(C):Nobumichi.Komori/HATTRICK COMPANY

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